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飛ぶ教室 第2部
追悼文 まつもと泉くん さようなら

飛ぶ教室のこと 

マンガ 飛ぶ教室

はじめに
~どのようなルーツ(源流)から誕生したのか


読者の、みなさんが、興味のあることを中心に、3テーマに分けて話ましょう。

1 「飛ぶ教室」が、どのようなルーツ(源流)から誕生したのか
2 「飛ぶ教室」連載当時のくわしい話
3 「飛ぶ教室」連載後の反応と経過、第2部の構想

まず、1の誕生秘話から、

復刊「飛ぶ教室」の、中にも書いたように、
「イダテン・ホーク」が第19回手塚賞、準入選を受賞後
3本読み切りマンガが、増刊ジャンプに、掲載されましたが、
まるで人気がなく担当編集のK氏が、自信をつけるさせるため
原作付きの、連載企画を、がんばって持ってきてくれました
…これが「マッド・ドック」(武論尊先生原作)です。

ペンネーム鷹沢圭…何回も直し、徹夜もむなしく、
人気なく10回で、打ち切り終了となりました…
担当にも原作者にも、もうしわけなく
以後原作付きは、やらないと決心しました、

…それから傷心の日々が、つづき、悩み、楽観的だった僕の精神に、
生まれて初めて強烈な「危機感」が芽生えました
「これは、ヤバイ、すぐにいい作品、出さないと消える、
それどころか人生が…」

部屋に帰っても腹も減らない、眠れない、
起きても多摩川をさすらうだけ…

「とにかく1本50ページの、
誰も見たことのないような別格の作品を描く
これでダメなら、止める!!
全能力を総て、注ぎ込む自分を信じる!」

そう決心して、僕が、少年時代からいちばん好きだった、
"少年漂流物"を描く事にしました、

「ガボテン島」「蠅の王」「2年の休暇(15少年漂流記)」など
何十とある少年漂流記ものですが、
どれも女の子が、少ないので、半分女の子で
人数も、もっと多く120人ぐらい、ほしいと思いました、
唯一の、おとなは美人の女性と、はじめから決めてました、
子供たちのキャラは、友人たちでまかない、
おおまかなストーリーも考えましたが、問題は設定でした

孤島に漂流するなんて、携帯電話のある現在、すぐ警察が助けに来るし、
地下洞窟に迷うなんていう事も、すぐ救助隊が来るので、成り立たない
異次元にワープするのも、既にいっぱいやられていて新鮮味がないし
リアルな物語に、したかったので、コレもダメ、
設定でこれほど悩んだ事はありませんでした、
一時は、これは無理かな?とまで追い込まれました

うんうん、うなる日々が、つづきました
…もういいや、と言う感じで20冊ぐらいある、
アイデア帳(思いついた話、アイデア、面白い実話などを
日々メモしていた、マンガ家になると決めた時から、書き始めた)を、
なんとなくめくっていると、
核シェルターの、パンフレットが、綴じてあったのです。
復刊の誕生秘話にも、書きましたが、
1982年神田、神保町の三省堂の1Fで
ドイツ製の、本物の庭に、設置する
「核シェルター」が、実売されていたのです
その時、実物のシェルターの、中に入り、説明も聞き
パンフレットも、もらっていたのです、…、…、
瞬間僕の頭の中が、真っ白になり

「コレは、いける!」直感でした!

”少年漂流”と”核シェルター”
まったく関係ない物を、合体させる、
すると、すさまじい化学反応、を起こし、僕の頭の中を駆け巡り
「あ」っと、いう間に、話は組あがり、
5人の子供が飛び出してきました!
この時「飛ぶ教室」は産声をあげたのです

昨日まで、あんなに苦しんでいた、設定がクリアーされた瞬間
もう、話もキャラも、題名さえも、出来上がっていたのです!

題名は、敬愛する、ドイツの作家、ケストナーの同名児童小説から、付けまし
た、
ただ原題は、「移動教室」 とか「さすらう教室」で、
日本語訳を、なさった某方が、飛ぶ教室と、訳されたそうです。

「飛ぶ教室」連載


読み切り45ページ「飛ぶ教室」のネームは、たった1日で、できました
シナリオも書かず、キャラクター表も作らず、
話もキャラも、一瞬で頭の中に、出現したのです、
天から上から何かが降りてきたとしか思えませんでした。

とにかく自分では、いい作品が、出来たと思いましたが、
担当K氏の、意見を聞くまでは、不安でいっぱいでした、
昭和59年1月ドキドキしながら
集英社で担当K氏に、ネームを見てもらいました。

K氏は、平然と、「なかなかいいから下描きして上に回そう、
ただし数字やデーターは、どこから引用したか、
雑誌名、著作者は明記すること」と言われ
ホっとしたのが本音です、
あっさりネームが、通ったけれど、
僕にはもっといい作品に、したかったので
絵柄を100%変える決心をしていました。

僕たちの世代の、マンガ家は、
池上遼一先生、ながやす巧先生に、あこがれ劇画タッチだったのを、
明るい少女マンガ風にしたくて
帰路、「りぼん」「なかよし」「少女フレンド」など数冊買って、
必死に練習しました

さらにGペンから細い線の描ける、丸ペンに変更しました、
これがよかったのです、自分でも信じられないほどペンが、走り、
手にペンが、吸い付くようでした、

自分で満足いく下描きが、出来て
編集長N氏に、見せるとこれも高評価で、
必ず掲載するので、時間をかけて絵を、ていねいに描くように言われ
それから2ヵ月かけて読み切りが、完成しました。

作品は「フレッシュ・ジャンプ」7月号に掲載され
人気投票もよく、週刊ジャンプ連載に向け、ネームを創り
5本を、連載企画に回しました、

後で聞いた話では会議は、紛糾したそうです、
しかし当時の編集長N氏の英断と担当K氏の努力で
連載が決まったそうです、

昭和60年4月ジャンプ24号から、新連載が始まりました、
既に7本前倒しして原稿は、完成していたので
ずいぶん楽でした、しかし連載に、興奮していたので眠れませんでした、

人気はまずまずで、(人気が、なく打ち切られたという
うわさは間違いです)普通なら、つづくのですが、
核、放射能という重いテーマ性を、持った「飛ぶ教室」は、
驚異的な飛躍の、まっただなかにある当時のジャンプにはリスクがある、
そう編集部から、言われては「ノー」と言える自信は、
当時の僕にはありませんでした、

僕は15回での、終了を受け入れ
14話15話は、急遽作り変え、僕の持つ力すべてを注いで、
不眠不休で作品をまとめあげました、
やり切った達成感で、連載終了後は
満足感でいっぱいでした…

連載後、集英社に打ち合わせに行くと、
ダンボール2箱の、ファンレターが僕を待っていました、
「飛ぶ教室」は、当時、新聞や2~3の雑誌にも取り上げられ、
翌年には単行本も出て、13刷まで売り上げました。

「感動以上の読者が、読んで魂を揺さぶられ、
人生までも変える作品を描く」
僕のその理想は、達成されたと信じています

実際、2015年今、ネットを見ておりますと
「飛ぶ教室」を読んで、
人生が変わった、生き方を変えた、真剣にひたむきに生きる事を学んだ
…という書き込みがいくつもあって、
僕の思いが、伝わったと感謝しています。

「飛ぶ教室」連載後と第2部について


連載後…明るい少年マンガに、戻ろうと
「ハッスル拳法つよし」や「アニー」などを、描きましたが、
読者は僕に「飛ぶ教室」のような深い作品を求めていて
何を描いてもあまり支持を、得られず
僕も疲れはて、毎日、多摩川を散歩する日々が、つづきました…

「飛ぶ教室」の続編は、2回ほど、某出版社から、依頼があり
100ページほどネームを創りましたが、
レベルに達していないと自分で、判断して、お断りしました、

満足できない形で、続編を描き
ファンの方々を、失望させたくなかったのです、
「これは、もうつづきは、描けないかもしれないな」
そんな感じがしました。

天から何も降りてこなくなったのです、
あれから20年連載終了から、28年目、
2014年の年末

僕は夢を見ました…
なんと!タローやサトルにオサムにみつ子にノボルが
夢にあらわれ こう言うのです

タロー「先生よ、そろそろつづき描いてくれよ、
暇でしょうがないんだよ」

僕「いやあ、悪い悪い、描きたくても、
何描いていいか、わかんないんだよ」

タロー「しゃーねーな、ほんじゃオレが、
ストーリー教えてやっからよ」

僕「えっ!マジで!J

これ、ホントの話です、
信じない人もいるかもしれませんが、真実です。

翌朝、僕の頭の中には、
ちゃんとタロー、サトルが言ってくれたストーリーが
記憶されていました…こうなるとマンガを、描くのは簡単です

タローの言った通りに描いていると、
30年眠っていた、キャラクターが動き出しました、
するするネームは出来、どんどん原稿が、仕上がっていきます

ある日、原稿の中にいる、タローが僕に、話しかけました
タロー「先生よ、今年は、いい事あるよ」

…予感がしました…

復刊ドットコムから、「飛ぶ教室」の復刊本を出したいと、
連絡があったのは翌週でした

2015年の夏は多忙でした「飛ぶ教室」の復刊
販売促進のサイン会、イベント、復刊記念の個展

2016年11月1日現在『飛ぶ教室の』の第2部は
200ページ完成しています。
プラス下書き140ページ完成しております。
来年中には皆様にお届けできそうです。

4、5巻までの話は、出来ており、
それ以後は、読者のみなさんの希望や一般の評価などを勘案して、
ゆくゆくは10巻まで体力のつづく限り描き継ぎ
「飛ぶ教室」が、未来の人々にまでとどくようがんばるつもりです。

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